子どもたちに伝えたい。残したい。パパからの遺言。

余命宣告を受けてるわけではありません。いたって元気です!自分の経験、子どもたちと一緒にすごした時間を彼らのために残しておきたい。

自分が経験したことのみを記事にします。いつか自分の子どもたちにも伝わりますように。

2018年09月

「ねえねえパパ、お金って何?」幼稚園の花子ちゃんが聞いてきました。
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うん、お金か。

たとえば、
花子が今ジュースを飲みたいとするよね?

あそこのスーパーに行くとたくさんジュースが並んでる。

喉が渇いているからってそのジュースを勝手に取って

飲んでしまってはいけないよね。人のもちものなんだから。

そう。人のものを勝手に取ってはいけないと幼稚園で習ったよね。

そういうときに【お金】を使うんだ。

スーパーに100円をもって店員さんに渡せば代わりにジュースが

もらえるんだよ。

花子が行きているこの世界では、

ボールが欲しいときには120円。

病気を治してしてくれたら1500円。

バスに乗せてくれるなら260円。

というふうに、お約束が決められているんだ。

つまり【お金】っていうのは


 欲しいものをもらうときや、

 何かうれしいことをしてもらうときに

 欲しいものをくれた相手や

 うれしいことをしてくれた相手に

 あげるもの


ってことだね。

もしも、【お金】がなかったとしたらどうする?

花子が飲みたいジュースはどうすれば手に入るかな?

スーパーの店員さんに聞いてみよう。

花子が手にもっている「熊のぬいぐるみ」とジュースを交換してもらえませんか?」

「もちろん良いですよ。かわいいぬいぐるみですね。わたしの子どもにあげたいわ。」

よかった。ジュースを手に入れることができたね。

でも、もしも店員さんがこう答えたらどうだろう

花子が手にもっている「熊のぬいぐるみ」とジュースを交換してもらえませんか?」

「嫌ですよ。熊のぬいぐるみなんてかわいくないわ。わたしには子どももいないし。」

花子はジュースを飲むことができないね。

【お金】がない時代にはこうやって

欲しいものがもらえるように自分の持ち物と交換してくれないかを

相手の人とお話しして相談する必要があったんだ。

これではとっても大変だね。相手の欲しいものだってわからないし、

その時○子は何も持っていないかもしれない。

だから人間はみんなが知っている【お金】というものを使って

いろいろなものやうれしい気持ちを交換する仕組みを考えたんだよ。

「ねえパパ。どうすれば、【お金】はもらえるの?」

うん。それを説明するには

【仕事】って何の疑問に答えないといけないね。

今日はもう早いからもう寝よう。また明日。おやすみ。


JR神田駅より淡路町方面に向かって5分ほど。ひっそりとたたずむ栄屋ミルクホール。昔はほんまもんのミルクホールだったそうです。
ミルクホールとは

名前の通り、主にミルクを提供することを目的とした飲食店である。時の政府が日本人の体質改善を目的としてミルクを飲むことを推奨していた明治時代
に数多く出現した。

出典:wikipediaより


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ラーメン 650円です。いままでに、このラーメンいままでに50杯以上は食べていると思います。とてもシンプルなおいしさで、まったく飽きがこないんです。懐かしの中華そばといったかんじです。

2018年時点で創業73年らしく、店には後継者らしい人もいないし・・・
うちの子どもが大きくなって一緒に食べに行くその日まで、頑張ってお店を続けていってほしいものですね。


関連ランキング:ラーメン | 淡路町駅小川町駅神田駅


北海道で大きな地震がありました。

明日、9月7日は日本代表の試合が札幌ドームであります。
予定通り開催されるのでしょうか。

それにしても、大地震が起きる度に思うところがあります。
地震予知についてです。

広大な国土がある日本のどこで地震がおきるかなんて正確に予測するのは不可能。
30年内に起きる確率を計算したとしても、それが的中する確率が不明なのですから。
余計に惑わされるだけです。

わたしはこう思います。
既得権益の温床になっている
予知にかかわる東大教授などに対する研究予算を大幅に減額し
1 大地震が起きた際に身を守るべき手段について全国へ啓蒙活動する。
2 備蓄品を充実させるのはもちろん、物品の過不足を正確に把握でき
  災害地域に瞬時に導入可能な避難所ネットワークを構築する。
3 火災用シェルターの設置など被害を緩和させる手段に具体的な予算を付ける。
4 古い住宅や公共施設・高速道路などの耐震化への予算を増加させる。

そんなことを考えた早朝でした。


 


本日、食べてきました大戸屋の
彩り野菜と炭火焼きバジルチキン定食

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出典:大戸屋HPより

とっても満足感あります。写真は公式サイトからとってきているので
定食になっていますが、わたしが実際に食べたのは単品です。

私が使っているアプリ【あすけん】によれば摂取栄養素グラフはこうなります。
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【エネルギー】:387Kcal
【たんぱく質】:20.8g
【脂質】   :25.4g
【糖質】   :14.3g
【食物繊維】 :4.6g

カボチャとサツマイモが少しずつはいっていたので少々糖質が高めなのかもしれないですね。もちろんそれらは除いて食べたので糖質は10g程度でおさえられたはずです。



18歳ぐらいになったら君たちにこれを知ってほしい。
【自分の心】を大切にしないとこういうことになります。
いまから書くのはパパが35歳、ママが32歳くらいの出来事。

ある日の朝、パパはママにこう言った
「もうだめかもしれない。病院に行ってくる」

前兆はもっと前からありました。会社から帰宅するのはいつも0時過ぎ。
ママは食事を作り、ただ配膳をするためだけにいつも起きて待っていました。
「おいしい?」ママの何でもない一言に素直に返事ができませんでした。
「今ようやく自由な時間なんだ、話しかけないでくれ」
「話しかけて良くなったら教えてね」
あまりにも悲しい会話。もう周りのことなんて見えない。
自分がいかにして明日の出社までに気力を回復させるか。
それだけしか見えていませんでした。
なんでも無いタイミングで茶碗を落とすこともしばしば。
口にするものの味さえ感じない時期だってありました。

当時はこう思っていました。
なぜ俺だけがいつも矢面に立たされるのだ。なぜ周りの奴らは無責任に返ってしまうのだ。俺がいなかったらどうなる?自分が司会をしている会議で、報告を自分が行い、その内容を自分で議事録にする?あり得ない。周りの奴らがもう少し有能であれば。
それでも立場上いろいろなところでぺこぺこぺこぺこ。朝方に近い帰り道のタクシーの中。もう勘弁してくれ。もう勘弁してくれ。
一方で、そんな日々の中、思うように出世できない、もう一歩踏み出しきれない自分にもいらだっていました。そして、このままこの仕事を続けるべきかもその1年ほど前から悩んでいたのです。
パパとママの信頼関係にも少しずつひびが入り始めていました。仕事に忙しく、イライラしがちで大きな声を出してけんかをすることもしょっちゅうありました。あるときスイッチが入ってしまうとまったく自分をコントロールできない。そんな最悪の時期にあっても暴力を振るうことが無かったことが唯一の救いでした。その一線をもしも越えてしまっていたら。今の家族の姿はまったく違ったものになっていたか、もしくは家族そのものは無くなってしまっていたでしょう。
家庭、仕事、どちらもうまくいかないこんな状況が1年は続いたと思います。
前の日にもママと言い争いをしていたある日の朝、音もなくパパの心は折れました。

「もうだめかもしれない。病院に行ってくる」

パパとママは泣きました。

近くの心療内科で設問が30個ぐらい並ぶチェックシートのようなものに回答しただけだったと思います。先生との簡単な会話の後にパパはうつ病と診断されたのでした。
2012年12月24日の出来事です。
22歳からサラリーマン生活を始め12年。それまで必死に努力をしてきたと自分でも思っていました。でも楽しくて仕事をしていたわけではなかったのです。完全に電源が切れた瞬間です。
その頃のパパとママは、それより前の期間におきたいろいろな出来事の積み重ねにより、決して良い関係の夫婦であるとはいえない状態でした。
パパはもう俺は病気になるほど頑張ったんだ。後はおまえが俺を支えるべきだ。この病気を治すために一緒に頑張ってくれ。と一方的に主張。
ママはもう十分頑張っている。これ以上何を頑張れば良いの?子どもの世話だってあるのよ。何をどのように頑張れば良いかわからない。と考えていたと思います。
こんな状況の中でどうやってこの病気と対峙していくのか。心療内科の待合室、全く先が見えない状況で先が真っ暗だったことだけを覚えています。途中で投げ出してしまう仕事もたくさんあったし、そのときにはまだ、年末年始だけを自宅で休んで年初の出社日からは仕事に復帰するつもりでいました。だけど、そんなに簡単にはいきませんでした。重要な役割を果たしていた人が突然出社しなくなったのです、その診断から4日間の間、自宅にはいたものの仕事の問い合わせも多く入り全く休まることはありませんでした。会社のメンバーには単なる胃腸炎と説明していましたから当然のことではあったのかもしれません。年始になるとさすがに直接の連絡は途絶えますが、今度はパパの心の中での葛藤が始まります。本当にあの場所に戻ってまた仕事ができるのか、今一番大事にするべきは家族では無いのか、単なる仕事の関係でしかない取引先の人たちのために自分の唯一の人生を犠牲にするのか、今までお世話になった会社に迷惑をかけることになる早く復帰しなくては、突然一週間も休むのなんてみっともない、会社に退職の意思は伝えているが合意はできていない、もしも残ることになった場合これ以上休めば降格は確実だ、そもそも収入はどうする、このまま病気で立ち直れなければ家族の収入はどうなる、ここまで積み上げてきたキャリアはすべて捨てるのか、仕事に復帰か、心を治すのが先決か、だめだ。またあの場所で仕事をするのはもう無理だ。もっと巨大なストレスでまた家族を傷つけてしまう。もう解放してくれ。

会社には3月までの休職を申し出て受理されました。

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