ちょうどクリスマスの頃だったと思います。うつ病の診断をうけたパパは年明けまで会社を休むことになりました。まずは2週間ほど会社を休んでそのときにまた、今後のことは考えれば良い。という会社側の方針だったと思います。

そのときの上司は、こんな状況になるまで気がついてやれなくてすまん、とまで言ってくれたとても心優しい人でした。当時、パパはその上司のもとで結構重要な役割を果たしていましたから、本当はとても迷惑をかけたんだと思います。でもそんな様子はみじんも見せずに、思いやりをもって接してくれました。溝の口の駅まで会いにもきてくれました。

幸いパパが診断されたうつ病は重度のものではなかったので、まったく立ち上がれずに毎日寝込んでいるほどのものではありませんでした。時々とてつもなく暗い気持ちになりベッドから起き上がれなくなる瞬間はありましたが、何かをしようと意欲ぐらいはまだ残っていたのです。

年明けの出社日になるまで、精一杯休み、子どもと遊び、おいしい食事をし、おいしいお酒を飲み過ごそうと考えて日々を過ごしましたが、一度折れてしまった心はすぐには元に戻りませんでした。そのまま3ヵ月の休職が決まりました。

医者からは週に1回でも良いので気持ちがそれを許す場合には少しでも外に出かけるようにと指導されていましたから、動物園、散歩、山登り、海岸の散歩、箱根や館山への旅行、ミュージカル、イチゴ狩り、と気分転換になりそうなものなら何でも、とにかく意識的に外出するようにしていました。会社を休職しているわけですから、平日にでかけることができます。当時の家族3人でいったズーラシアは平日で人もまばら。本来なら空いている動物園を喜ぶべきそんな状況ですが、パパはなぜかそれを虚しく感じてしまい、自分を責めながらとても切なかったことを覚えています。当時のパパの状況は、こうやって外に出かけることはできるが、ふとしたことですぐに気分が落ち込む、怒りやすくなるなど本当に不安定でママにも大変な苦労をかけたと思います。いつも笑顔でいろいろなところについてきてくれました。とにかく自分の何かを変えたくてマラソンを始めたのもちょうどこの頃です。

このときは3ヵ月も休めば会社に戻れると考えていたと思います。また一方でこれを機会に今までの人生を見つめ直し、もう一度やりなおすのであればこのタイミングしか無いという気持ちが芽生えていたことも事実です。優誠はいよいよ3歳です。そしてパパは会社を辞めました。この限られた期間での充電で激務の世界に戻っていくエネルギーを取り戻すことはできませんでした。お世話になった社長にも直接会いに行くこともできずに、会社とメールのやりとりをし、ほんの事務的な作業だけで退職の処理はあっけなく終わりました。その後の仕事のことは全くの白紙でしたが、ただただ、逃げたかった。戻るのが怖かった。そんな心境だったと思います。おじいちゃんやおばあちゃんに自分がうつ病にかかっていたことを報告し会社を辞めたことを報告しました。とくに新小岩のおじいちゃん、おばあちゃんへの報告がつらかったです。二人はママの幸せのことを一番に考えているはずです。その夫はこれから収入が0になるのです。二人の気持ちを考えると本当にいたたまれなかったです。

今考えれば2013年春。これがパパの人生の底だったと思います。

続く。